1964年の東海道新幹線開業から製造していた0系は、
開業当時から運用されている車両において、
列車同士のすれ違いで生ずる高圧空気による金属疲労が発生し、
これにより気密構造を維持出来なくなって来た他、
数々の経年不良が相次いで見つかった。
初の新幹線車両であったので、
在来線車両より早く老朽化が進行する事態は
設計当初には予期出来なかった事である。
日本国有鉄道(国鉄)は0系を廃車にする基準を製造後13年とし、
古い0系を新たに製造した0系で置き換える事が数年続いた。
0系は何度かマイナーチェンジはされているものの、
基本となるデザイン・内装は1964年の製造当初のままで
あった為に旅客から車両の陳腐化と映り、
また技術が進化すると共に新幹線車両に起こりうる事象が
ある程度把握出来た事もあり、
100系はこれらを改善する為に、
主に内装を中心にモデルチェンジを行い、
1985年10月から1991年度まで合計1,056両が製造・投入された。 内装や技術面で、これ以降新製される新幹線車両に搭載される設備・技術も数多い。
しかし、時代の高速化の波は急速に進み、
性能的に0系と大差ないレベルの100系は高速ダイヤに対応する事が出来ず
(特に東海道区間においては、線路容量ぎりぎりのダイヤの為、
低速車両の混在はいわゆる平行ダイヤを組む事に繋がり、
全体の速度を下げる結果になっていた)、
車両自体の寿命を迎える前に大量淘汰を受ける事になってしまった。
東海道新幹線においては2003年10月1日のダイヤ改正で
同線内の列車を全て最高速度270km/hにすることが
2000年5月31日に決まり、
2003年9月16日の「ひかり309号」(東京→新大阪、G49編成)
を最後に東海道新幹線から引退した。
また山陽新幹線からも、
前日の15日の「ひかり556号」(博多→新大阪、G2編成)
を最後に16両編成は引退している。
ただし、10月9日に代替編成としてG7編成が運用されており、
16両編成の最後の営業運転は
「こだま557号」(広島→博多、G7編成)となった。
現在では、山陽新幹線において4〜6両の短編成にした上で、
0系の最後の生き残り編成と共にこだま用車両として
運用に就いている。